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2013.10.30 Wednesday

ツイードジャケットを伴とする旅 〜親愛なる書籍のご紹介〜

 
あゝ、ダニーボーイ
山を下り、谷を越え
バグパイプの音が聞こえてきます
夏が過ぎ、花々が朽ちる中
あなたの旅立ちを、そっと見届けます

O Danny Boy,
The pipes are calling
From glen to glen and down the mountainside
The summer's gone and the all roses falling
'Tis you, 'tis you must go and I must bide 




秋の散歩、
野に山に時々出かけます。
ぼんやりしていると、もう日暮れです。
そんな中、
ふと懐かしいメロディーがよみがえりました。
大人になり、
歌の由縁を知ることがあります。
【蛍の光】がスコットランド民謡、
【ダニーボーイ】はアイルランド民謡がルーツであると。
北国の唱歌、
慕うおもいに国境はありません。

旅ごころが暖まる季節、
ノーザンテイラーの書棚より、
2013年親愛なる一冊を、ここにご紹介します。




ものづくりの伝説が生きる島
【ハリスツイードとアランセーター】
著 長谷川善美
写真 阿部雄介
2013年初版
発行 万来舎

この本を知り、世界を想像し、
感慨が生まれました。
この本を携えて、ふるさと北海道を旅します。
ツイード、その地に根ざした毛織物とは??
ますは紙面にて、
さっそくツイードの世界を訪ねてみましょう。




ハリスツイード発祥の地
“スコットランドの北西部に位置するアウターヘブリディーズ諸島。
その中でも最北に位置するのがハリス島とルイス島だ。
スコットランド最大の都市グラスゴーから
小さな飛行機に揺られて一時間余り。
空港のあるルイス島に降り立つと、
草のカーペットが敷かれた大地には、
白いワタスゲが一面に広がっていた。”

イントロダクションの書き出しです。
著者が彼の地に舞い降りる情景に、
読者はゆっくりと紙面から頭をもたげます。
風が強そうですね。
そして、古びた石垣は何でしょうか。




辺境の島
そのうえ泥炭地です。
漁業のほか、さしたる農耕は望めません。
厳しい環境に耐える毛織物づくり、
かつては自給自足の家事でした。
それが地場産業へと発展した経緯は、
ハリス島統治の歴史にさかのぼります。
越境の島
英国本土とは、宗教も言語も異なる土地柄です。
ケルト文化伝来の遺跡があります。
十字架の形象と、
ハリスツイード商標マークの関係性。
先見の明ある領主があってのことでした。
また後には、時代の波に翻弄されました。
その盛衰物語、詳しくは本書にてお楽しみください。




ひと口にツイードと言っても、
産地によって呼称が違いますね。
スコットランド本土のシェットランドツイード、
アイルランドのドニゴールツイード、
そして本書のハリスツイードというように。
これらのうち、品質上の分類や優劣は存在しません。
ひとつだけ、差別化できる点があります。
【ハリスツイード】という商標登録。
自らに規定を課しました。
島にとって、認証こそが命綱となりました。
仕入れた原毛の染色、紡績、織り加工までの工程は、
すべからくこのアウターヘブリディーズ諸島内で行うこと。
さらに、
織り手に関しての規定は特筆。
今どき、マジかよ!!
というほどの厳しさです。

機(はた)織りは木製から鉄製に変わり、
技術の進歩は生産量の倍増を可能にさせました。
変わらないことがあります。
織機(しょっき)の足踏み、またはペダルを漕ぐのは、
まぎれもなく人力。




今シーズンのハリスツイード生地
ノーザンテイラーにも反物が届きました。
その一部をご覧ください。
空の色、大地の色、
自然の風土に則した彩り。




茜(あかね)色を基調に、色とりどりの重ね格子柄
朝焼けか夕焼けか。
是非とも、
戸外の光に触れさせてください。




グリーン無地
露を含んだような、
なんともいえない質感です。
こういった生地には、
ノーフォークジャケットをお勧めします。
各所のポケット
上襟の持ち出し
背面ベルトなど、
手に触れる箇所が多いほど気分も上がります。




紙面の世界に戻ります。
これまでハリスツイードという服地の
過去から現在までの有り様(よう)を、
かいつまんでご紹介しました。
本書ではさらに、
地場産業であるその毛織物を守るべく、
未来を見据えた島の試みについても
暮らしに寄り添うかたちで記されています。

織り手の高齢化に伴う世代交代、
限りある資源の保護、
文化の伝承、
一朝一夕(せき)に解決できるものではありません。

しかしながら、
本書にはこうあります。
“家族が出来たら家に住みたいでしょう。
庭があれば羊を飼う。
それは私たちにとって普通のこと。
たとえお金にならなくても、
生活の中に羊がいるのがいいのよ。
何より、最後は食べられるしね。”

ハリスツイード協会の若きリーダーであり、
良き母でもある女性は、
豪快に笑いました。




そうです。
読んでいて、笑みがこぼれました。
おまけに、
シャアできる仲間がいると、
じっとしていられなくなりました。
旅へ出ます。
自然の中、
ツイードを着て歩きます。




道の駅には、
なにやら楽しそうな地図がありました。
今回は札幌から南西に向かいます。
沿岸をぐるっとまわり、
赤点の黒松内を目指します。
野生ブナの木、北限の地。




日本海沿岸、
かつてはニシン漁で隆盛をきわめました。
財を成した網元が岬や丘に競ってお屋敷を構え、
ニシン御殿と呼ばれました。
現在、
この一帯で要(かなめ)となるものは、
泊原発です。
周囲に不釣り合いなほど、
消防署が大きいのはそのためです。
無事を願うほかありません。




はい。
気を取りなおします。
ノーザンテイラーから、
ツイードジャケットのご紹介です。
肉厚な生地を用いました。
手触り、ごわごわです。
持つと重いです。
着れば不思議と感じません。
そこが魅力です。




ツイードの定番のひとつ、
杉綾織です。
スギの葉を交互に並べた織り柄が特徴。
またの名を
ヘリンボーンとも呼ばれます。
ニシンの骨ですね。
そういうオチでした!!




ニットタイは北海道産の毛織物
優佳良(ゆうから)織です。
誤解されがちですが、
この毛織物はアイヌ先住民族の伝統工芸とは無関係。
調べてみると、発祥は戦後です。




歴史的由緒の有無、
それが全てではないと思います。
北海道の自然風土を活かしたデザインや色彩には、
郷愁の念を抱かずにはいられません。
ナナカマド、白樺、エゾマツ・・・
身近な自然がモチーフだからでしょうね。




こうした民芸品が伝統文化となるには、
一体この先、われわれは何をすべきでしょうか。
ハリスツイードが商標登録されて100年あまり。
紆余曲折があり、存亡の危機にも瀕しました。
本書【ハリスツイードとアランセーター】を読み、
教訓とすべきことがあるとおもいます。

今回のブログ記事ではご紹介しきれませんが、
本書後篇アランセーターも同様に、
そういった示唆を与えてくれるものです。
”生活のために編む必要のない今は、
家族のためにセーターを編んでいる。
その色は白ではない。
家族のために編んでいるセーターは、
ダークブルーのものだった。”




去る七月末、
東京にて、出版記念のトークショーがありました。
偶然にも出張時とタイミングがかさなり、
私も拝聴させて頂きました。
取材エピソードの数々に、
はためく風を感じたものです。
ゆたかさとは何か??
とりもなおさず、
現代の暮らしを考えさせられるものでした。

記念にお二方のサインをしたためて頂きましたこと、
光栄に存じます。
長谷川様、阿部様、
そしてトークショーを主催されたマルキシ社様、
誠にありがとうございました。




いつか海を渡り、ツイード発祥の地を旅します。
その暁(あかつき)には、
何が開けるのでしょう。

But come ye back when summer's in the meadow
Or when the valley's hushed and white with snow
'Tis I'll be here in sunshine or shadow
O Danny Boy , O Danny boy, I love you so

また夏の草原に、戻って来てください
深しんと雪降る中でも構わない
ここにいます
陰日向(ひなた)なく
わたしのダニーボーイ



札幌元町 ノーザンテイラー
http://northern-tailor.jp/


当ブログ、過去の関連記事
【ヴィジュアルブック SAVILE ROW】
合わせてご覧いただけますと幸いです。

2013.06.08 Saturday

ELEGANCE ~温故知新とサマージャケットスタイル~


六月です。
初夏です。
札幌では恒例のお祭りシーズンが到来。
北海道神宮祭
SAPPORO CITY JAZZ
そして
PMF音楽祭。

北緯43度の青空、
一年でもっとも前向きな季節となりました。

戸外で過ごす幸せ、
何にも換え難いですね。
この度はノーザンテイラーより、
ひと足早くバカンス気分をお届けできると幸いです。




【ELEGANCE】

THE SEEBERGER BROTHERS AND
THE BIRTH OF FASHION PHOTOGRAPHY
Copyright @2006 by Seuil
Bibliothèque nationale de France

フランス国立図書館?
横文字がつづくと何やら大上段になりますが、
ご心配なく。
ただの写真集です。笑
報道写真の類いではありません。
内容はずばり、
元祖、行楽日和(びより)のスナップ写真。


休日の行楽はTシャツにジーンズも良いですが、
大人ならではのよそ行き、
ときに優雅な気分も愉しみましょう。




Chantilly, Prix de Diane,
June 4, 1933.
シャンティイとは、
パリの北約40キロの森にある保養地。
古城や競馬のレース開催で名高いそうです。
注釈のディアヌ賞とは、
優駿牝馬決定戦、いわゆるオークスの位置づけ。
メスのお馬さんだけでなく、
美しいお嫁さんがいらっしゃいました。




撮影者はこの兄弟
SEEBERGER BROTHERS
副題にもありますように、彼らが行く先々で収めた
紳士淑女の行楽スナップ写真。
1909年から1939年の間
時代が刻々と変わろうとするなか、
モードの先端がきらめきました。
そして
はかなくも美しい世俗の社交風景がうかがえます。

上の写真、
アンリとルイのシーベルガー兄弟
Bois de Boulogne, 1927.
パリ市内、ブローニュの森にて。
パリ市民の憩いの場、
広大な庭園にはロンシャン競馬場や、
テニスの全仏オープン会場としても知られる
ローラン・ギャロスがあるとか。




シーベルガー兄弟とは、
市内のモンマルトルで写真印刷業を営む一方、
後に自らが外に出て活躍。
海へ山へ、バカンスのあるところを訪ねます。
きっと、
お得意様に誘われたのがきっかけだったのでしょう。
社交場って、
なかなかおもしろい生態だなあ!!
という具合に。笑

こちらは、
Saint-Moritz, 1935.
冬季オリンピックの開催地、スイスのサン・モリッツ。
湖があり、温泉があり、登山電車まで。
最高じゃないですか。
そしてやはり、競馬場があるそうな。
あんたも好きね〜




Chantilly, Prix du Jockey-Club,
June 14, 1931.
ジョッキークラブ賞とは、フランス初のクラシックレース。
開催日は毎年、六月の第一日曜日。
風にそよぐ、
どこか只ならぬ姿勢。
これは当時のモードで、
旧態のコルセットにより締め付けられたことへの反動。
デカダンを気取って
パーティではチャールストンのダンスを踊りそう。




David Mdivani and his sisiter,
Cannes, April 1938.
この写真集には、各界の名士や時のひとが登場しますが、
ムディヴァニ家とはなんぞや?
調べてみますと・・・
東欧カフカス(コーカサス)地方の出身で、
将軍の末裔とのこと。
政変により西欧へ渡ってきたのでしょう。
南仏カンヌの邸宅にて、
芸術家然としたモードの妹と、
クラシックな趣向の兄。




Biarritz, September 1929.
ビアリッツとは、
フランス南西端、ピレネーの麓。
ビスケー湾に面した風光明媚な港町。
現在のスペイン国境に接し、
文化圏でいうとバスクに属するようです。
ラテン語族とは異なる土地柄、
そうした異国情緒もあって、惹かれるのでしょう。




The House of Chanel
and L. Rouff, Biarritz,
August 15, 1931.
言わずと知れたメゾン、
ビアリッツにもありましたよ。
ちなみに
注釈の【Rouff 】とは、
当時シャネルと並んでモードを賑わせていたデザイナー、
Maggy Rouff(マギー・ルフ)のメゾンだと思われます。
リゾート地のスポーツスタイル
ライバル同士が軒を連ね、一体どのような個性を発揮していたのでしょうか。




at the Grand Steeple-Chase
d'Auteuil, june 19, 1927.
オートゥイユ競馬場とは、
パリ近郊にある障害物専用の競技場。
この脱力感、
どうですか〜
生き菩薩(ぼさつ)さながら。

注釈によると、
若き女性は、オペラ座のバレリーナ。
シャネルもデザイナー冥利に尽きますね。




wearing Hermes,
Deauville, 1939
ドーヴィルとは、
フランス北西部、ノルマンディー海岸の保養地。
ふーん、
スカシテるね。
しかし
この地が、映画【男と女 1966】の舞台だと知った途端、
がぜん調子づいてきます。
ダバダバダ〜♪ ダバダバダ〜♪
もう、
カーレーサー気取っちゃいますか。
助手席にはアヌーク・エーメ、
夢見ましょう。




sitting in front of the changing rooms,
Deauville, summer 1934.
お嬢さま、とびきりの笑顔。
ビーチの更衣室まえが、
奇しくも絶好の撮影台になりました。
パンツスーツにペタンコ靴が粋だねえ!!




Young Photographer
on the beach,
Cannes, Easter, 1936.
イースターとは、キリストの復活祭。
春分過ぎ、満月の後の日曜日に祝う行事とか。
私はクリスチャンではないのでピンときませんが、
大切な家族や友人にプレゼントを贈る、
クリスマスに並ぶお祝い事だそうです。
コートダジュールの渚にて、
彼はどのようなイースターを過ごしたのでしょう。




お待たせ致しました。
この度の本題に捧ぐ、
カスタマーのU氏のサマージャケット。
初めてご来店くださったのが、
偶然にも、ちょうどイースターの頃だった気がします。
あれから北海道もすっかり暖かくなりました。
くだけ過ぎず、品の良いサマージャケットを〜
というご要望に沿い、
U氏とノーザンテイラーが時間とアイデアを交歓。
仕立て上がりました。




生地はウール100%のホップサック
凹凸の表情は、無地でこそ映えるさりげなさ。
ブルー系といってもさまざま。
この度お選び頂いた生地は
紺、青、水色、
3つの色糸が交差して、
独特の明るい表情が生まれます。




前後にステッチを施しました。
注意して見ると解かる〜
そのくらいがいいよね。
という具合にシルエットやフィットだけでなく、
細部にわたる意識も
双方でしっかりと確認。




スタイルのご参考までに、
チノパンを合わせてみました。
まずはお手持ちのトラウザースからどうぞ。
サマーウールでしたら、
淡いグレーのトラウザースもバッチリ。




靴はスリッポンで行きましょう。
バカンス気分にひも靴は窮屈。
私的な好みをいいますと、
【フルサドル・ローファー】
はい。
フェチなんです。
ボブカットの美人がカチューシャ・リボンをした感じ!?
そういう感じです。




失礼致しました。
では、サマージャケットをイメージして、
札幌発
身近なバカンス気分の旅にお連れしましょう。
アクセル全開、
はたまたギャロップ全速力!?
しっかりつかまっていてください。




ここ何処?
札幌競馬場!
お馬さんはどこだ〜
あれれ、おかしいなあ・・・
じつは
メインスタンド建て替えのため、
今年度のレース開催はありません。
残念ッ




記念の銅像をパチリ☆
この迫力、伝わるでしょうか?
題して【駿馬勇進】
自分を馬に喩えるなら、やっぱりどさんこ。
この地に生まれた感謝を再認識。
サラブレッドにはなれませんが、
ぽっくりぽっくり〜
前進あるのみ




せっかくの機会、
お馬さん、サラブレッドの雄姿をみたいですよね。
というわけで・・・
札幌から二時間の旅
やって来ました。
日高門別!!




馬産地、
もんべつ競馬場です。
初めて来ました。
ところどころに手づくりの雰囲気があり、
のどかです。




パドックの様子
出走前のデリケートなコンディションゆえ、
フラッシュは厳禁。
遠くからガラス越しに撮影しました。
1番は赤い跳ね馬。
まさかテスタロッサ!?
なんちゃって




午後七時
いよいよ
雨の第九レースが始まります。
外に出て観戦しますよ〜




スタート!!
この瞬間、
今にも羽根が生えて跳んでいきそう。
みんな無事に走りきってくんろ。




レースは接戦、
予想は散々でした。
ドンマイ!!
的中はむずかしい。
では仕事の戦略眼は?
ご心配なく。
ズバッと差します。




さて、
各パーツの相性はこんな具合。
青のジャケット地に
裏地はサンドベージュ。
ペールトーンのシャツが涼しげに映えます。




袖付けにはちょっとした工夫が。
あれこれ言うのも野暮なので、
らしさ、を感じて頂けたら。




納品時、
これをお召しになった
U氏の笑顔が輝いていました。
当店にとって、
なによりの励みになります。




おまけに、
スリッポンつながりでドライビングシューズを。
素足には、
虫よけスプレーもお忘れなく☆





北国の爽やかな夏、
大人のサマージャケットをお愉しみください。



札幌元町 ノーザンテイラー

http://northern-tailor.jp/

2012.08.26 Sunday

ヴィジュアルブック SAVILE ROW


“ 英国には武士という語はないが、紳士という言あって、
それがいかなる意味を持っているか・・・
倫敦(ロンドン)は世界の勧工場なり ”




夏目漱石【倫敦消息】
明治33年(1900年)、
文部省の官費留学生として、青年金之助は教師を辞し英国へ旅立ちました。

後にこの体験、
文豪への足跡が、重苦く取沙汰されますが、
読み手には意外や、時にニヤリとさせられたり。

“ 吾輩は日本においても社交が嫌いだ。
まして西洋へ来て窮屈な交際をやるのはもっと厭だ。
きたないシャツなどは着て行かれず、ズボンの膝が出たりしていてはまずい。
それはそれは気骨が折れる ”

窮すれば通ず、とはいかなかった異国暮らし。
江戸っ子のプライド故か、
この当時から【坊っちゃん】と通じるものがありますね。

前口上が長くなりました。
紳士という言を考えるうえで、英国はそのオリジンであり、
ロンドンは仕立屋の本場。

ノーザンテイラーの書棚より、
2012年栄えある一冊を、ここに謹んでご紹介します。




【SAVILE ROW】

A Glimpse into the World of English Tailoring
2012年 初版第1版発行
Copyright
著者 長谷川善美
撮影 Edward Lakeman
発行 万来舎




ロンドンの中央部を構成する一区、ウェストミンスター。
西の修道院という名に由来するこの街は、
王室ゆかりの教会や宮殿を擁し、
テムズ川左岸に位する。
また、政府各省や国会議事堂の所在地。

シティが金融経済の坩堝(るつぼ)である一方、
ここウェストミンスターは政治宗教の拠りどころといえます。

そのなかのメイフェアという地区に、古くから仕立屋が軒を連ねる街路あり。
通りの名は【SAVILE ROW】サヴィル・ロウ。
西洋では街路に人の名を冠する習わしがありますが、
ここは18世紀に、伯爵夫人サヴィルから命名されたそうです。

500メートルに満たないその通りに、大英帝国の時代から現在に至るまで200年以上、
時代の波に晒されても猶(なお)存在し続ける、仕立て服の世界。
紳士服、それもクラシックスタイルの【聖地】と称されるには、
訪れる側と迎える側に、相交わす黙契があるから。

クラフツマンらの手許(もと)がフィーチャーされた
素敵なモノクロカラーの装丁を開くと、
表紙裏には、
“ ファッションやトレンドを超越し、世界中の男たちを魅了してきた、
永遠に生き続けるスタイルがそこには存在する。
英国王室御用達に輝く老舗から、新進気鋭の新しいテーラーまで、
時代の流れの中で大きく変貌を遂げるサヴィル・ロウを、
現地取材を通じてその実像を映し出した、日本初のヴィジュアルブック ”
と記されています。



その由緒ある仕立屋世界は、英国の歴史社会背景にあって、
どのようにして起こり、また現在に至るまでいかなる道程を経てきたのか。

本文を一部抜粋させて頂きますと・・・

“ 18世紀初頭には貴族とジェントリー(領主)が入居していたサヴィル・ロウも
メイフェアの不動産価格の下落という時代の変遷と共に、
18世紀末には歯科医と開業医の通りとなる。
1846年、「ヘンリー・プール」がサヴィル・ロウ32番地の店舗のサヴィル・ロウ側を正面とし、
ここにサヴィル・ロウ初のテーラーが誕生する ”

“ 「ヘンリープール」の成功と共に、19世紀にはこの通りに続々と
テーラリングハウスが店を構え始める。
時を同じくして隆盛を迎えたジェントルマンズクラブや大貴族の邸宅に近い
メイフェアという特別な立地が、この地を紳士服の聖地としたのである ”

“ 今も昔も変わらぬサヴィル・ロウの悲劇は、多くのテーラリングハウスが
立ち退き、移転といった歴史を繰り返してきたことだ。
業績が好調でも移転せざるを得ない現実、
それはイギリス独自の特殊な土地制度に起因する ”




本書では、
イントロダクションの美しく静謐(せいひつ)な筆致と、
情緒ある写真によって、その世界へと導かれます。

“ サヴィル・ロウに今も生き続けるクラフツマンシップは、
なぜこの地にのみ継承されてきたのか。
その答えはこの地が担ってきた歴史的な意味合いにある。
軍服、式典用礼服、法廷用衣装、卒業用ガウンなど、
イギリスの伝統を支えてきたこれらの受注こそ、サヴィル・ロウのテーラリングハウスが
継承してきた唯一無二の技術の証でもある。
イギリスが体験してきた幾多の戦争は軍服の圧倒的な需要を促し、
大英帝国の栄華を誇った英国王室はその強大な権力のもと、
各種専門分野での高度な技術的発達を促した ”

“ 過去200年以上にもわたる、多様な軍服の需要に応えていく中で、
彼らは最上級の生地や付属品を使い、一流の職人技を駆使して、
最高度に完成された紳士服を仕立てる能力を見せつけてきた。
帝国の拡大と共に、国内からインド、アフリカ、北米、極東、
その先へと任地が広がるにつれ、英国将校は想定することのできる、
あらゆる気候と局面にふさわしい軍服の必要性に気づく。
その需要に応えたのがサヴィル・ロウだった。
誇りを持って職務にあたるために、騎兵や歩兵といった下士官でさえ、
軍規に正確に基づいた軍服を必要とした ”

こうして、いぶし銀のオーラを湛えたテーラリングハウスの数々が、
そこに生きるクラフツマンらの声と共に、
歴史ポートレートの如く粛々と紙面を飾ります。




Dege & Skinner
http://www.dege-skinner.co.uk/

「ディージ&スキナー」は1865年創業。
発祥はドイツ出身のディージ家が興した「J.ディージ&サンズ」
そこに仲間のスキナー家が加わり、共同経営が始まりました。
二度の大戦という転機、また危機を乗り越え、
いまだに創業者一族によって経営されている店として、
上述の「ヘンリー・プール」と並び、サヴィル・ロウに現存する希少な存在。

テーラリングは3部門あり、
軍服、一般的なタウンスーツ、そしてカントリークロージング。
もとより王室騎兵隊との縁が深く、
そのハウススタイルは、
「顧客の身体によくフィットし、肩はできる限り自然に、着丈は長めになる」
というもの。
ヘッドカッター(裁断士の要)であるピーター・ウォード氏いわく、
「着丈の長さは騎兵隊のライディング・コートに由来している。
通常の近衛歩兵連隊の上着と比べるとライディング・コートはより長めの着丈で、
近衛歩兵連隊の軍服を作っているハウスなら、
スタイルは比較的ストレートなラインで着丈も短めになる」

ウォード氏はつづけて、匠の技術者でありながらも
顧客と向き合う際の大切な心構えを語っています。
Customer is always right.
テーラリングのプロフェッショナル、その本分とは如何に・・・??
続きは是非、お手に取ってご覧ください。




Anderson & Sheppard
http://www.anderson-sheppard.co.uk/index.html

創業1906年。
「アンダーソン&シェパード」の出自を紐解くことはすなわち、
サヴィル・ロウの歴史における潮流に行きつく。
といっても過言ではありません。
軍服の仕立て技術をタウンスーツに応用した先駆者と称えられる名カッター、
フレデリック・ショルティ。
一般にイングリッシュ・ドレープ・スーツとも言う、
胸のゆとりから胴絞りにかけての優雅なたわみは、ここに端を発します。
ショルティの弟子であったピーター・アンダーソンが後につづき、
パートナーにシドニー・シェパードを迎え、現在の屋号となりました。

スーツの様式はその土地の文化、気候風土と密接に関係しており、
冷涼で雨が多い英国の環境でいえば、毛織物はタフで仕立ても堅牢。
当然、印象は重厚でハリがある。

それとは趣を異にするのが、ここ「アンダーソン&シェパード」特有の様式です。
肩パッドや胸の芯地をより薄い構造に工夫し、
なおかつ適度なゆとりに空気が流れるような曲線美。
limp look と形容されるその柔らかで、瀟洒(しょうしゃ)な個性が、
旧来とは別の顧客層を惹きつけました。

1900年代前半、ハリウッド映画黄金期との蜜月。
サイレントの花形、西部劇の英雄、ミュージカルの巨星・・・
数々のシネマスターが公私にわたり、
「アンダーソン&シェパード」を贔屓にしていたそうです。

世の贅沢を知り尽くした男たちを、それほど魅了したのはなぜでしょうか・・・??
本書では、ヘッドカッターを務めるジョン・ヒッチコック氏が、
「アンダーソン&シェパード」が他と一線を画する、
その軽い仕立ての実例を示しています。
詳しくは本書でご確認ください。




Richard Anderson
http://www.richardandersonltd.com/

創業2001年。
数字だけを見れば新興店ですが、
現役の創始者本人、リチャード・アンダーソン氏のキャリアを遡(さかのぼ)ることで、
氏がサヴィル・ロウの歴史と伝統に系譜した、
次世代の紛うかたなき牽引者である。
という名望の糸口が、
本書では時系列に沿って丁寧に手繰り寄せられます。

30代半ばで名店「ハンツマン」のヘッドカッターにまで上り詰め、
時代の過渡期にあった老舗から、志を共にするパートナーと二人三脚で独立。
慣れ親しんだサヴィル・ロウという立地を妥協できず、
当初は店舗のない状態で出発。
しかし、
アンダーソン氏の技術力とパートナー、ブライアン・リシャック氏の戦略眼には、
確かな勝算がありました。

出張受注会は成功を収め、ほどなく、サヴィル・ロウの好立地に
念願の店舗「リチャード・アンダーソン」を構えます。
その経緯(いきさつ)、当時入れ替わるようにサヴィル・ロウを去った店とは、
一体どちらでしょうか??
実は現在も他所(よそ)で健在なり!!
こうした挿話(エピソード)にも著者、長谷川氏の細やかな取材力が窺(うかが)えますね。




Meyer & Mortimer
http://www.meyerandmortimer.co.uk/

こちらは発祥の起源が1700年代後期という、老舗のなかの老舗。
記録によると、
オーストリア出身のジョナサン・メイヤーがサヴィル・ロウの近所、
コンジット通りに軍服と装身具の仕立屋を創業。
現在では、同種のテーラリングハウス
「Jones,Chalk & Dawson」 「Ward & Kruger」も同社の傘下にあるそうです。

余談ながら、
Meyer はドイツ語読みならマイヤー、それにクルーガーといい、
こうしたクラフツマン、名工の寄合=ギルドにゲルマン系が連ねていること。
ショーウィンドウの写真一枚にも歴史の営みを偲ばせますね。

以上、
本書【SAVILE ROW】より、その触りをご紹介させて頂きました。
仕立て服の聖地を克明に映し出した
全160ページにわたるこのヴィジュアルブックは、
洗練された写真が彩る、
格調高きルポルタージュに他なりません。

本書で取り上げられたテーラリングハウスは11店。
おそらく、11店ぶんの個性や流儀を限られた紙面にまとめるのは、
大変な苦労があったことと推察されます。
歳月を費やした膨大な取材記録の仕分けと、推敲(すいこう)。

作家のE.ヘミングウェイは言いました。
“ 優れた本とは、それを書く過程でどれだけ貴重な材料を捨てられるかで、
価値が決まるものだ。
海上に現れている氷山は全体の1/8でしかない。
つまり、目には見えない7/8の実体があって初めて、
われわれの眼に美しく、氷山が輝く。
例えば「老人と海」など、
書き方しだいでは1000ページもの大冊になり得ただろう。
だが私は、海について、漁について、村の暮らしについて、
多くの興味深い知識や体験を敢(あ)えて書きこまなかった。
それら書かずに終わった貴重な材料こそが、
表面下にある氷山なのである ”





去る7月末の晩、【SAVILE ROW】出版を記念して、
著者長谷川氏のサイン会とトークショーが都内で開催されました。
奇しくもその折、私は上京中だったのですが、
お誘い頂いたとき、
すでに帰りのフライトが決まっていた為、
残念ながら参加できませんでした。

しかし、その前に偶然本書を拝読していた私は、
サインください☆
と主催者の方にちゃっかりお願いしていた次第。
後日、晴れてサインが添えられた宝物が届きました。
一読者として光栄に存じます。

マルキシ社の岸様、
著者の長谷川善美様
この場を借りて御礼申し上げます。
誠にありがとうございました。

皆さまも是非、
本書【SAVILE ROW】
サヴィル・ロウのページを開き、
その紙面に息づく豊かな世界をお楽しみください。



札幌元町 ノーザンテイラー
  
http://northern-tailor.jp/

2012.06.28 Thursday

ノーザンテイラーの書棚より



 

ノーザンテイラーの書棚より、
おすすめの写真集をご紹介します。

当店では、
お越しいただいたお客様と、コーヒーを飲みながら語らい、
双方世界観のイメージを共有できるよう、
ファッションに限らず
さまざまな参考資料をご用意しております。

今回ご紹介する一冊は、
【La Tavola e la Civilta del Lavoro】

直訳すれば、
食卓と勤労文化、・・・なんじゃそりゃ?笑
意訳すると、
職場の昼メシ風景

という感じです。

仕事もお洒落も、まずは腹ごしらえが肝心!

これは、GRUPPO ONAMA というイタリアの外食産業グループが、
創立30周年を記念して編纂(さん)、1996年に発表されたもの。

過去のあらゆる記録写真から、
昼メシ時の風景をとおして、
ずばり20世紀の変遷(せん)を綴った
歴史ポートレートといえます。




ANONIMO 撮影
1920年 ニューヨーク
ロックフェラーセンター地所開発による、
超高層ビル群の建設現場。

地上何百メートルなのでしょうか?
足がすくみます・・・
作業員の男たちには、命綱がありません。
平然と、
くわえタバコでランチボックスを手にしています。

撮られる方も、撮る方も、
現代の感覚では、正気の沙汰ではありません。




ANONIMO 撮影
1928年 ペルージャ
女子工員さんたちの給食風景。

威儀を正し、整然と並ぶ白衣姿は、
お祈を捧げたばかりのよう。
奥には十字架が見えます。

また、壁に掛けられた標語を見ますと、
PULIZIA
CIVILTA
EDUCAZIONE
とあります。

清く
正しく
教養を
という意味合い。

そんな女性(ひと)に逢ってみたい!

男心に刺さります。




KORTE 撮影
1940年 ローマ
Accademia Musicale
とありますので、音楽大学のようなところ。
そこの学生食堂より。

時代はムッソリーニ体制下、
まさに第二次大戦開戦の頃ですから、
エリート音大生も、
芸術家の卵というよりは、
いわば軍の楽団のような役割だったのかもしれません。

とはいえ、
食事は楽しくマンジャーレ!
ラテンの陽気さが伝わってきます。




ANONIMO 撮影
1946年 トリノ
タイヤメーカー【ピレリ社】の社員食堂にて。

終戦の翌年、
一変しました。
粗末な食事をただ黙々と、
ブリキ食器の乾いた音だけが響いてきそうです。

イタリア有数の企業でさえ、
このような環境ですから、
終戦当時、一般市民の疲弊ぶりは
日本に限らず、ヨーロッパも推して知るべし。




TONI NICOLINI 撮影
1961年 ミラノ
地下鉄工事の現場より。

パニーノ(簡単な具材を挟んだパン)でしょうか。
行動食という感じ。
傍らには、ワイン瓶があります。

枯葉らしきものが見えるので、
晩秋の気配。
体格といい、面(つら)構えといい、
役者以上の存在感ですね。

なお、
ミラノ地下鉄一号線は、
1964年に営業が始まりました。




BRUCE DAVIDSON 撮影
1960年 ロサンゼルス

テーブル向こうがマリリン・モンロー
右が夫で、ピューリッツァー賞作家のアーサー・ミラー
手前がイブ・モンタン
http://northern-tailor.jp/source-book-1-3.html
(ページ三項目をご参照ください)
そして左が、彼の妻シモーネ・シニョレ

これは、モンタンとモンローが共演した作品、
【恋をしましょう 1960】の撮影期間中だとおもわれます。

モンタンは39歳。
モンローは34歳。
ともに、
歌手であり、映画スターでもあり、浮名を馳せました。

伴侶がいようと、
ぶっちゃけ、恋は盲目!
こりゃ大変だ・・・

それぞれ視線の先には、
意味深な4角関係がうごめいています。




HENRI CARTIER-BRESSON 撮影
1971年 ターラント
南イタリア第三の都市。

イタリア半島をブーツに例えると、
ターラントは、
ちょうど踵(かかと)の付け根にあたります。

二つの湾を持つ、入り江の都市は、
軍港、貿易港、漁港を擁する
古くから海運の要所。
大戦後は、大規模な鉄鋼コンビナートが
国策で進められました。

作業員のオッチャンたちは、
なにやらポケットナイフで
サラミか果物でも剥いているのでしょうか。

和みますね。




FERDINANDO SCIANNA 撮影
1987年 ミラノ
ミラノコレクション、ドルチェ&ガッバーナのバックステージより。

誤解のないように、
この一行(こう)は変態プレイではありませんッ。

れっきとした興業の身支度です。笑

コレクションの期間中、
人気モデルは1日に複数のショーを掛け持ちしますから、
食事の時間もままならぬ忙しさ。

それにしても、
褐色の肌に、リンゴの白さ。
偶然にしては、
出来すぎなような構図・・・




MARTIN PARR 撮影
1993年 ロンドン
キング・クロス駅にて。
本には、buffet と記されているので、
駅の簡易食堂とおもわれます。

絵画のような、一瞬間。
どこか、
エドワード・ホッパーの画集にあるような、
窓明かりの光彩と天井の高さが
印象的です。

調べてみますと、
キング・クロス駅は、1852年開業。
ロンドンの主要ターミナル駅のひとつ。




行ってみたいですね!
また、
人気小説【ハリーポッター】シリーズで、
主人公の少年が魔法使いの学校へ旅発つ際の、
始発駅としても、愛読者には有名だそうです。

あいにく私は【ハリーポッター】について、皆目知りません。
これを機に、なにやら興味が湧いてきました。

いかがでしたでしょうか。
ページをめくると、
時空を超えた世界紀行。

皆さんは、
今日のランチ、
どんな顔して召し上がりましたか?

昼食の風景から、
時代が読みとれるように、
スーツの様式にも、
英国、ヨーロッパ、アメリカ、
ひとの暮らしの背景があります。

当店は、
お客様と face to face による
コミュニケーションがモットー。

将来、
北海道の暮らしに根ざしたスタイルの、
ノーザンテイラー写真集。
お客様ポートレートを
献上できますように・・・



札幌元町 ノーザンテイラー 

http://northern-tailor.jp/

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